連休の中日はまたも夏日。紅葉を観に行くって感じではないので近場でなにか…ってことで、2年位前の日経夕刊で知った、歩いて登れる古墳群あたりを散策しようかなと(近場というほど近場ではなかった)
駅を出てすぐ、古墳が見えますね!
でもまずそっち(南東側)ではなく、北側の古墳1基見なくては!(手前の登ったけどね)
で、駅を背に右側に向かうと北側が市野山古墳(允恭天皇陵)。
170号を北上するのですが、ぜんっぜん見えない。道路沿いに並ぶ住宅の裏っかわですね…
角っこを曲がってようやくチラッと。
曲がっても、また民家の裏っかわが続きます。
200mくらい、ほとんど「前方」の部分が終わろうというところで交差点が。右折(南下)します。
突き当りのフェンスには宮内庁さまのお触れが。右側は施錠されてます。左側は進めます。
角(さっきと逆方向)です。ここから南下。
宅地の路地裏をひたすらまっすぐ。どっかの家の犬に吠えられまくりました(笑)。そのうえ砂利敷き。写真は突き当りを振り返って。
突き当りから一旦離れて道なりに歩くと「後円」の真ん中あたりにこの掲示が。允恭天皇陵終わり。すぐそばに小さい古墳(唐櫃山古墳)があるのですが、工事中で表示なし、アクセスもできず。
さて、土師ノ里駅に戻って南東方向へ。
鍋塚古墳です。石段を登ります。
土師ノ里駅方面。意外と高い。降りて迂回してその奥へ
T字路に突き当たりました。目の前のが仲津山古墳 (仲津姫命 仲津山陵)。けっこう大きいです。
右方面に行くことにしました。
「後円」の真ん中あたりから右へ400mほど。地図ではさも水で囲ってあるようですが(一部を除いて)空濠ですね。
角(西端)に着きました。
「前方」沿いの通路は閉鎖。また迂回させられ、住宅地の路地を歩きます…
「前方」の真ん中には大仙古墳などと同じ門(拝所)ありました。右側に住宅(?)が見えますね。不思議。
その仲津山古墳の向かい側(南西側)に登れる古墳、小室山古墳がありました。登ってみます。チカラシバっていうんですかね、服にくっつく種がつきまくりで痛い。
真東・真北・真西の順かな。真南は高速道路時しか映らんので撮りませんでした。けっこう高い。人工物とは思えない高さ。埋葬されているのが皇族じゃないからアクセスし放題ってことみたいです。下の方では家族たちが遊んでました。
一番高さを感じられると撮ったのかな
古墳を降りて元来た道を南東方向に進みます。仲津山古墳 の角は曲がらず(帰りに寄る予定)、進みます。
府営住宅の敷地の中に楯塚古墳公園。不思議な感じ。低いですね!
石段を上った先にベンチが。ベンチから来た方向に向かって撮影。
楯塚古墳を出て道なりに進み、東側へ4~500m進んで道明寺を目指します。
来た来た。
古刹感ありますね。ちょっと屋根かしいでる?
いい位置に樹があって(苦笑)左手が本堂、右が護摩堂です。
本堂を正面を外して。右の建物はなんだったかな。右奥に庫裡があり、こちらも立派そうでした。
道明寺は尼寺で一度焼失。織田・豊臣・徳川時代に復興。明治の神仏分離によって敷地を拡張して道明寺と道明寺天満宮に分かれたんだとか。
本尊の十一面観世音蔵は18日25日ご披露だそうです。
敷地内には第一次(!)世界大戦の戦火で命を落としたセルビアの人々を偲んだ石塔がありました。昭和4年とか。これを建てた人々は、その後の日本の動きをどう思ったでしょうなぁ…
そんなことを思いながら道明寺を後にします。「道明寺と言ったら桜餅」というほどのものらしいですが、時期じゃないからかそんな雰囲気はみじんもありませんでした。
さらに100mくらい東へ進みますと
道明寺天満宮に到着。石段を上がります。
広い!別の入り口から車で入れるんですね。七五三のシーズンか。そうかそうか。
本殿も立派ですね
裏手には季節外れですが梅園。一応散策。
こんな高見用の石段まで用意されているとは。
天満宮を後にし、楯塚古墳の方へ戻ります。
高速道路の下をくぐって遅い昼食後、誉田御廟山古墳(応神天皇陵)に行く前に周囲の古墳を目指します。
小室山古墳にも南端に掲示板あったんですね~
掲示板のところを振り返ると赤面山古墳が。ほとんど盛り土です。
赤面山古墳を通り抜けてから振り返って。道路が古墳避けてますね。
道なりに道路を進み、小川にかかったところで左折。南下します。
掲示板のところから東に曲がると、右側に古墳。誉田円山古墳だそうです。
道路を挟んで北側に大鳥塚古墳。こちらも登っていけるっぽいけど人っ子一人いなかったのでやめときました。
誉田円山古墳の右手の通路を進むと、誉田御廟山古墳の拝所が。
先ほどの掲示板のところに戻り、道なりに300mほど進みます。また道路は遠くなり、ロードサイドのコーナンとかが並ぶ170号線に出ます。
「前方」が終わって角を回るとようやく古墳(外堤)が見える感じに。
大仙古墳より埋め立てた土砂の量が多いと推定されるとか?繰り返すが重機のない時代によくやったなぁ。
外堤に植わっている樹木はなんか手が入ってるような気がするんだよね。気のせいかな。
直線部分の一番南側、「後円」に差し掛かるあたりに最後の掲示板。この後は道路がどんどん古墳から遠ざかっていきました…
「後円」の南300mほどにある誉田八幡宮の南の道路を通って、敷地の角を北に向かってひたすら帰路へ。
戻り途中に栗塚古墳という小さい古墳があるのはマップアプリで気づいていたが民家に囲まれていて確認できず。左手にあったテニスコートの前を通過したけどそこにも東馬塚古墳があったらしい。小さすぎて気がつかなんだ。そして誉田御廟山古墳だとばかり思ってたところにも二ッ塚古墳があったらしい。気がつかなんだ…
そんな「”古墳を巡ってる感”のない感」を漂わせつつ歩いていたら、遂に誉田御廟山古墳も1周。楯塚古墳/府営住宅の辺りに出ましたので、仲津山古墳の残りのルートを通ります。
住宅街を通って、左折すると古墳に近付く、という交差点の右側には古墳が。中山塚古墳です。入っていけそうないけなそうな。
「あれ、ではこの手前に?」と振り返ると
ありました。助太山古墳。これも登れそうでしたね。
地図アプリで気づきませんでしたが、助太山古墳、中山塚古墳ときて、八島塚古墳があったのですね。3基目には気がつかずスルー。日経の記事にも古墳を示す四角が3個並んでたのにな…
中山塚古墳の交差点のところを左折すると久しぶりに古墳に肉薄。
最所に突き当たったT字路となっていた通路に到達。右へ曲がって帰投。
梅田~天王寺290円、天王寺~土師ノ里430円(片道)の旅でした。あとは賽銭くらい。
12km、16,000歩くらい歩きました(iPhone調べ)。
堺の古墳に比べると、周囲をぐるっと回れないのは惜しいと思いました。
あと土師ノ里駅、目の前に古墳あるんだから古墳のマップ・リーフレットくらいあってもよさそうなものなのだが。