元々は観に行く気なかったんですよ。「まだ原作読んでないし。」って感じで。でもだんだんと興味が膨らんでいき、村上春樹の著作も間に未読のものがたくさんあるのですが飛ばして購読。もう配信やらレンタルやら始まっていますが、映画館で観てきました(断然映画館派なので)。
原作は50ページ程度の作品なので「これがどうやって3時間もの作品になるのだろう?」と思っていましたが、けっこう別物レベルですねぇ。違いとしては
・妻は女優を続けていて、脚本家ではなかった。
・だから女子高生が空き巣に入って、というシナリオは原作にはない
→他の短編(『女のいない男たち』の中の)のエピソードだそうです(未読。3/13)
・だからセックスの後話の筋を話す、というのもない
・妻の浮気相手は脚本の主演ではなく、共演した俳優(4人)
・家福夫妻は4歳の娘を亡くしているが、原作では流産(法要のシーンもない)
・妻(音という名前はない。「結婚に難色を示した~」のいきさつもない)はくも膜下出血ではなく、子宮がんで死去
・妻から「話したいことがある」と言われてそれを聞けなかったのではなく、なぜ妻が浮気していたかの真意を探ることが永遠にできなくなったことに苦悩している
・緑内障によるブラインドスポットがあるのは一緒だが、夜都内で少しアルコールが入った状態で接触事故を起こし、免許停止になっている(妻死去後)
・妻の浮気の現場を目撃するシーンはない
・海外へ行くエピソードもない
・広島の演劇イベントに家福が行く、というシークエンスがまるごとない。都内での講演への行き来がみさきとの交流の場
・十二滝村に行くシークエンスもない
・「ゴドーを待ちながら」(だよな)を演じるシーンもない
・高槻は(多分)あんなに若くなく、高槻との交流も過去の話で、高槻と話したことを家福がみさきに語る、というスタイル(これが大部分)
・高槻はいい奴だが役者として二流で深みがない人物として描かれている。映画の人物の方が興味深い
・みさきが(あの?)赤いサーブに乗って韓国で暮らすシークエンスもない。なぜ韓国なのだろう?
・赤いサーブではなく黄色いサーブ。更にコンパーチブル(単純に玉がなかっただけかも)
・妻の朗読テープではなく、移動中は家福が日課としてセリフのおさらいをする
・「ワーニャ伯父さん」をもう演じられない、というのもない
・演劇そのものへの描写は少なく、あのような多言語(手話を含む)のようなニュアンスはない
とまあ、ざっとこんな感じ。都内の行き来と回想シーンだけだと絵的に足らないからなのだろうか。100分くらいの映画にできたような気がし、それはそれで良かった気もする。
3時間、あっという間とまでは思わなかったが、長いとか、退屈とかは思わなかったな。多言語+手話の芝居を作り上げていくさまは興味深かったし。あまりにも自己抑制ができない高槻も人物としては面白かったしまさかの主演が公演直前に逮捕されるというのも面白かった。
濱口監督が広島にルーツのある人なのだろうか。あのごみ処理場、「新美の巨人たち」でも取り上げられていたな。隈研吾さんだったろうか。
しかし広島から十二滝村に2日で行って帰ってくるって…。11月末やぞ。スタッドレス買ったんか(笑)と思った。
西島秀俊氏、マッチョなんですね。しらなんだ。演出家としての口調と西島秀俊の雰囲気がマッチしないと感じるのは「真犯人フラグ」を観ているせいかな…(苦笑)
平均よりはるかに美しい男女ではあるものの、中年がセックスすることに対して肯定的に描かれているように中年には感じられました。
アカデミー賞どうなんでしょうね。なにか受賞してほしいものですね。
8.5/10。大阪シネマステーションにて。