なんてことのない日々

つれづれなるままに、思ったことを書きましょうかね。凝った構成はやりません。インデックスとか。そんな時間はかけたくないので。ほぼプレーンテキストでやっとります。肩のこらない書き方をしている結果、肩のこらない読み物になってるかな。あまり強く批判めいたことは書いてないつもりですが、好きなモノ・コト・人を悪く言ってたらゴメンナサイ。個人の感想です。読み飛ばしてください。

【イベント】国立文楽劇場「大人のための文楽入門」に行ってきた(2024年)

 今年も行ってきました「大人のための文楽入門」。今回は2週間やってる「文楽鑑賞教室」の方が「二人三番叟」もやってたのでそっちの方がオトクだったのかなぁ?

 今回も太夫浄瑠璃の説明、三味線の演者が三味線の説明をし、人形遣いが人形の構造、3人でどう役割分担するかなどの説明をしてました。今回は、説明中も写真は撮れませんでした。

 「文楽へようこそ」の後15分ほど休憩が入り、本日の演目「菅原伝授手習鑑」が始まりました。

 なんか、国語の教科書?日本史の教科書?でとり上げられてた、くらいの浅い知識ですがこれまた全編通してやると丸一日(12時間)レベルの大作らしいです。そんなんばっかりですね。そりゃ幕の内弁当もいるわいな。

 今回はクライマックスの「寺入りの段」と「寺子屋の段」。菅原道真は政敵藤原時平の陰謀で謀反の疑いをかけられ大宰府へ左遷(事実上の流刑)。菅原道真にかわいがられた三つ子はそれぞれ天皇菅原道真藤原時平に仕え、1人は政争に責任を感じ自害、1人は菅原道真に同行。

 菅原道真の息子菅秀才を自分の子として育て、田舎の寺子屋を営む源蔵夫妻。地場の役人・玄蕃に呼び出され、菅秀才を匿っていることを知っていること、菅秀才の首を差し出すことを求められる。首実検には、菅秀才の顔を知っている松王丸(先の三つ子の1人)を起用すると伝えられ帰宅。菅秀才の替え玉になりそうな高貴な子がいないのに絶望したところ、その日寺入りした見目麗しい小太郎を「これは」と思うまでが「寺入りの段」

 そのまま「寺子屋の段」に移行。寺子屋に通う子の親たちが来て、代わりに殺されてはかなわんと1人、また1人と解放されていく。当時の観客、そりゃあハラハラしたろうなぁ。とうとう菅秀才1人(実際には小太郎もいる)となり、源蔵が首桶を持って隣室から現れ、松王丸が首実検をする。松蔵は妻に脇差を渡し、「違う」と言われたら共に切りかかる覚悟。そのような緊迫感の中、松王丸は「菅秀才に違いない」と宣言。玄蕃は意気揚々と引き上げていく。

 実は小太郎は松王丸の息子で、菅原道真への忠義のためにこのタイミングで小太郎を寺入りさせたのだった。玄蕃と同じタイミングで一度引き上げ、戻ってきた松王丸が種明かしをする終盤。白装束で松王丸夫妻は小太郎を野辺送り。封建社会は辛いのう。バレそうにも関わらず一か八かで別の子を菅秀才の身代わりとして首差し出そうとする発想が恐ろしいです…

 しかし、松蔵夫妻はここで寺子屋なんてもうできないだろうし、着飾った菅秀才、行方不明だった道真公夫人も出てきたがこの人らは今後どうなる?とこの後に思いを馳せてしまうわね。

 「にっこり」という表現、300年前には既に使われていたのですね。

今回の展示コーナーは「昭和の文楽」でした。三味線って、バラせるのね

小道具?で牛。人が乗って動かすとか。大がかりですね。

蝶々夫人」→「お蝶夫人」とか「ハムレット」とか「椿姫」とか。「明治天皇」なんてのもありますね。気になる…。

 次は7月、「女殺油地獄」ですかね。なにせ近松作品ですしね…

【追記】

忘れててた。この期間中は、A5判のパンフレット2冊がお持ち帰り可能となってました。