なんてことのない日々

つれづれなるままに、思ったことを書きましょうかね。

【映画】「ドライブ・マイ・カー」鑑賞(再掲というか一部修正)

 映画を観に行ったときは『女のいない男たち』のうち、「ドライブ・マイ・カー」と「イエスタデイ」の2編しか読んでいなかったのですが、ようやく全編読了しました。そのことにより、コメントを変えざるを得ないので再掲(修正)です。

 原作との違い

・妻は女優を続けていて、脚本家ではなかった。

・だから女子高生が空き巣に入って、というシナリオは原作にはない
→『女のいない男たち』中「シェエラザード」にあるエピソード。男女がセックスした後女が過去を語る体裁。「シェエラザード」の高校時代の話。でも空き巣が入ってくる以降の部分はない。3回目の侵入の際、同級生のシャツを持って帰って来、それがきっかけで鍵が付け替えられてしまう。彼女が置いて行ったものも未使用のタンポンと髪の毛。下着は置いてきていない。

・だからセックスの後話の筋を話す、というのもない
→「シェエラザード」にあるエピソード。

・妻の浮気相手は脚本の主演ではなく、共演した俳優(4人)

・家福夫妻は4歳の娘を亡くしているが、原作では流産(法要のシーンもない)

・妻(音という名前はない。「結婚に難色を示した~」のいきさつもない)はくも膜下出血ではなく、子宮がんで死去

・妻から「話したいことがある」と言われてそれを聞けなかったのではなく、なぜ妻が浮気していたかの真意を探ることが永遠にできなくなったことに苦悩している
→「俺は傷つくべき時に正しく傷つかなかった」は『女のいない男たち』「木野」のモチーフ

緑内障によるブラインドスポットがあるのは一緒だが、夜都内で少しアルコールが入った状態で接触事故を起こし、免許停止になっている(妻死去後)

・妻の浮気の現場を目撃するシーンはない
→『女のいない男たち』「木野」のエピソード。国内出張が一日早まって帰宅し目撃。妻と目が合っている。

・海外へ行くエピソードもない

・広島の演劇イベントに家福が行く、というシークエンスがまるごとない。都内での講演への行き来がみさきとの交流の場

・十二滝村に行くシークエンスもない

・「ゴドーを待ちながら」(だよな)を演じるシーンもない

・高槻は(多分)あんなに若くなく、高槻との交流も過去の話で、高槻と話したことを家福がみさきに語る、というスタイル(これが大部分)

・高槻はいい奴だが役者として二流で深みがない人物として描かれている。映画の人物の方が興味深い

・みさきが(あの?)赤いサーブに乗って韓国で暮らすシークエンスもない。なぜ韓国なのだろう?

・赤いサーブではなく黄色いサーブ。更にコンパーチブル(単純に玉がなかっただけかも)

・妻の朗読テープではなく、移動中は家福が日課としてセリフのおさらいをする

・「ワーニャ伯父さん」をもう演じられない、というのもない

・演劇そのものへの描写は少なく、あのような多言語(手話を含む)のようなニュアンスはない

ということで、原作になかった要素の半分くらいは他の短編の要素でした。

 

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